よきにはからえ

おもしろきこともなき世をおもしろく、住みなすものは心なりけり

なぜ勉強するのか

長男が来月から小学生になる。

保育園から小学生になる過程で、一番大きく変わるのは、勉強が生活の一部に組み込まれることであろう。これまで日中遊んでいた時間がそっくり勉強時間に置き換わる。エクセルで"遊び"→"勉強"に全置換するようなものだ。

これは即ち、起きてる時間の半分くらいが勉強に捧げられることを意味する。

今まで当然のように受け入れてきた事実であるが、江戸時代とか一昔前の価値観からすれば、かなりクレイジーであろう。

そして、自然と次のような疑念が生まれる。

なんで、そこまで勉強するのか?

きっと、近い将来、無邪気な顔した子供から、このシンプルかつ本質的なキラーパスが飛んでくることは想像に容易い。そして、そんな時さらっと回答できるように、軽くシュミレーションしときたい。

まず、子供のうちに学んでおかないといけないのは、社会に出て生き抜く力だ。生き抜く力とは、シンプルにお金を稼ぐ力だ。

でも、ここは別に必ずしも勉強である必要はない。勉強できなくても、お金を稼ぐ手段はたくさんある。スポーツや芸能、今ではYouTubeなどなど。それでも、勉強が社会的に選ばれているのは、一番食いっぱぐれなくて、リスクが低いからだ。サラリーマンとしての雇用形態が主流の社会であるから、そこに最低限必要とされる知識を身につけている。

逆に、江戸時代とかは、当然会社なんてものはほとんどなく、みんな個人事業で生計を立てていたはずだ。だから、勉強する必要はなく、家業の手伝いでもしていればよかった。あとは、ネットもテレビもない時代では、仕事自体も衣食住に直結するものが多く、それ故に、仕事に求められるのは、知識や独創性ではなく、職人的な専門性だったのかもしれない。

そんなわけで、勉強とは、ある意味、技術の発展とともに複雑になった現代社会のニーズに呼応して、身につけるようになったと推測できる。

では学校で学ぶことで、そんなに仕事力に差がつくかと言えば、少し違和感が残る。

基本の5教科で、仕事に直結するといえば、国語、算数、社会くらいだろうか。

英語や理科も、仕事の種類によっては役立つかもしれないが、一般教養的な側面が強い気がする。そして、判断が難しいのが、数学だ。

数学で使う知識自体、幾何や方程式や数列とかは実務ではほとんど使わない。

ただ、数字という抽象的な概念を扱う世界で、公式に当てはめて解を求めるというプロセスは、論理的思考力を養ってくれる。という説もある。

だが現実では、正解がない問題が多すぎて、数学のように単純な公式をポンと当てはめて解決するような話はほとんどない。

正直、数学は割と頑張って勉強したのだが、全然使い物にならなくて、コスパの悪い科目という印象だ。世間一般でも苦手な人も多いし、もう少し数学の比重を下げたらいいのにと思うところだ。

とりとめのないことをつらつらと書いたが、状況はなにも進展していない。

子供から、なんで勉強するの?と聞かれた時に、社会で食いっぱぐれないためという夢のない陳腐な回答しかできないのは、誠に遺憾である。