よきにはからえ

おもしろきこともなき世をおもしろく、住みなすものは心なりけり

男の行動はすべて性欲に結びつくんやでぇ

こんなことを自慢げに言ってるやつが、10年前にいた。一応、友達だ。名前を弁慶としよう。

こういうことを言う人は、女好きの浮ついた男かと思うかもしれないが、彼は決してそんな男ではない。むしろ、どちらかというと硬派だ。服装はいつも無地のTシャツとジーンズをミニマリスト風に着こなしている。健康志向が高く、いつも早起きしてランニングしてる。

あと、とても気分屋だ。親しげにに話してて、気がついたらいなくなってることが多い。飲み会は行きたい行きたいと言ってるが、ほんとに来たことは数えるくらいしかない。一言でいえば弁慶は、猫みたいな男だった。

そんなつかみどころのない弁慶が言い放つ「男の行動はすべて性欲に結びつくんやでぇ〜」の真意はどこにあるのだろうか。

当時はきっと、弁慶本人は話を拾って欲しくて言ったんだろうが、悲しいかな、聞いたら負けだと思って、誰もがスルーしてた。

そして最近、彼を思い出す機会があったので、彼のメッセージの真意を、今になって、考えてみた。

恐らく、弁慶が本当に言いたいことは、性欲ではなく承認欲求のことだろう。承認欲求をオブラートに包んで性欲と表現してるのだ。たぶん

他人から認められたい、高い評価を得たいという願望はきっと多くの人が内に秘めているものだ。自分さえよければいいと言う人もいるが、本当に周りから見向きもされず、天涯孤独でいいと言う人はほとんどいないだろう。

そして、この承認欲求、見方を変えると、信頼されたい、喜ばせたいと捉えることもできる。決して、悪い一面だけではないはずだ。

でも承認欲求という響きは、禍々しい不純なイメージを与える。

それは、人間の評価基準が絶対評価ではなく相対評価だからだと思う。

みんなが互いに高い評価を付け合ってみんな満足ハッピーエンド

と、いう話ではなく、周りよりも高い評価を得た時が、人間は嬉しいのだ。一言で言えば、優越感だ。

でもこの優越感も、競争原理の根幹となる感情であり、今の資本主義社会を作っている。

つまり、今のこの便利な生活も、先人の承認欲求が積み上げられた結果なのだ。弁慶の言葉を借りると、性欲の上に成り立っている社会だ。

この事実を受け止めて、我々は承認欲求と性欲と向き合いながら生きていかないといけない。

弁慶よ、お前が言いたかったのは、こういうことだろ?