よきにはからえ

おもしろきこともなき世をおもしろく、住みなすものは心なりけり

マイクラの無限の可能性と闇の深さについて

マインクラフトというゲームにハマってるいる。俗にいうマイクラ。ハマってるというより、嵌っていると描くほうが、より深刻な心境が正確に伝わるかもしれない。つまり、「新しい趣味を見つけてハッピー」よりは「沼に嵌りました、抜だれか助けてください」の方が実態に近い。

学生や独身社会人にとっては「寝る間を惜しんでゲームをしている」という状況はまぁ許容範囲だ。だが二児の父親が陥るのはワケが違う。前者の本質は趣味で、後者は麻薬だ。頭の中では、睡眠時間を削る代償が大きいことはよく理解している。でも本能に近い欲求を制御することができず、僕は漆黒のゲーム機に手を伸ばす。そして、空白の時間を経て、激しい後悔と絶望とともに現実に戻る。最近はこれの繰り返しだ。

当初は、息子と一緒に軽い気持ちで始めたマイクラ。もともとゲーマーであった僕は、尊い青春を犠牲にすることで、ゲームの闇の深さを、嫌というほどわかっていた。だから、Switchでゼルダドラクエなどの超そそるソフトが発売されても、ずっと見て見ぬふりをし続けてきた。だがマイクラは、息子と遊ぶという大義名分を隠れ蓑にして、巧妙に僕の心の中に入り込んできた。そして、僕自身も油断してたのだろう。初代マリオのような安っぽいドット絵に無限の可能性が溜まっているとは露ほども思わない。

ついでに言い訳させてもらうと、マイクラのサバイバルモードはむしろ大人のほうがささると思う。その妙味は、人類の進化の過程を擬似体験できるところにあるといっても過言ではない。何もない平原から始まり、材料を集め、道具を作って、生活を豊かにしていく。あくまで現実世界の模倣なので、集める材料も木材、食べ物、鉱石など現実に即している。ドラマチックなストーリーも存在しないし、ラスボスも存在しない。このリアリティはVRとはまた異なる没入感をプレイヤーに与えてくれる。

熱弁できるくらい没頭できるコンテンツに出会ったことを幸ととるべきか、不幸ととるべきか。やっている時は、時間を忘れるくらい没入できるが、終わった後は地獄である。理性というのは肝心な時に、役に立たない。普段は、失敗したらどうする?と無駄に煽って、ブレーキを掛けてくるくせに、本当に働いて欲しい時には、なにも機能しない。

このコントロールできない無力感は、もしかしたら乙女の恋心と似ているのかもしれないとふと思ってしまった。ゲームによって失われた青春をゲームで回収できるなら言うことは何もない。