ふと考えてみる。
この世から自分以外の全ての人が消えてしまったら、なにを目的に生きればいいんだろうと。
これは無人島に漂着して、ひとりで死ぬまで過ごすのとは、全く違う次元の話だ。たとえ無人島でひとりっぼっちであったとしても、無意識ではどこかで自分以外の人間が生きていることを知っている。
僕が話しているのは、自分以外に生きている人間がいないことを認識している状態だ。
だが、そのシチュエーションを想定すること自体がまずもって難しい。
仮に神様に地球上からすべての人間を消してくれと言って、次の日起きてみると、自分の周りから人が全員消えたとしよう。SF映画でもよくある設定だが、その状況になったとしても、そいつは、自分ひとりだけしかいないことを認めない。そんな状況はありえない、きっと、どこかに自分以外の人はいるはずだと思うだろう。
そして、その瞬間から、他の生き残りを見つけることが人生の目的になるだろう。自分以外の人を探す旅、ヒューマンクエストのはじまりだ。
仮に自分がひとりで宇宙旅行してる間に、地球に隕石が落ちて粉々になったとしよう。そうなった場合でも、希望的観測を捨てない。他に宇宙旅行をしてる人はいるはずだという思考回路が働き、やはりヒューマンクエスト(宇宙編)がはじまるだろう。
そして、長旅の果てに、自分以外の人間が本当にいないことを悟ったとき、人はなにを思うか。
個人的には、そこに他の哺乳類が生き残ってるかどうかで状況はかなり変わってくると思う。
もし猪とか兎とな、他の哺乳類が生きてたら、人間をやめて哺乳類として生きるだろう。所詮、生物学の分類なんて、人の考えた概念だ。他に人がいない中、そんな概念など捨ててしまえばいい。
あと霊長類がいたら、かなり嬉しい。全力で同じ霊長類アピールするだろう。
逆に、哺乳類がいない状況だったら、かなり詰んでる。鳥類までならまだ許せるけど、昆虫とか魚をダチと呼んでる自分は想像できない。なにより意思疎通を図れる気がしない。
つまり、この妄想話が示唆することは、人は他者との関係性なしでは生きられないということだ。個人差はあるだろうが、本当の意味で、ひとりで生きていくことはできない。
仮に、ヒューマンクエストの果てに出会った人が、今もミサイルぶっ放しまくってる金◯◯とか、プー◯◯であっても、再会した時には、彼らと熱い抱擁を交わすであろう。