よきにはからえ

おもしろきこともなき世をおもしろく、住みなすものは心なりけり

失うもののない鋼メンタルおばちゃん

その日、4歳の娘は「社会の理不尽 」を身をもって知ることとなった。

先週の日曜の話だ。雨は降らなかったが、まとわりつくような湿気を帯びた蒸し暑い日であった。嫁息子が外出したため、父娘水入らずのデートに行くことになった。行先は、かねてから娘が希望してた地元のゲームセンターである。とはいっても、そこは朽ち果てたダイエーの最上階一角にある、寂れたゲームスペースのことだ。床のタイルや壁には年季が感じられ、置いてある機種も一世代前のものである。良くも悪くも歴史を感じさせる空間であった。

だが娘はそんなことお構いなく、天真爛漫な様子で、時代に取り残された残骸機で遊び始める。値段もお手頃なので、このレベルのエンターテインメントで嬉々としてもらえるのは、親としても大変ありがたい話である。

そして、一通りきゃっきゃと遊んだ後、UFOキャッチャーコーナーを通りかかると、ピカチュウ人形を見つけた。ちょうど抱きしめられるくらいの手頃な大きさで、ごろっと無造作にマシン内に転がっている。そして娘は無類のピカチュウ好きであった。

「ぱぱ、あれとってぇ」と、父親の性をくすぐるように言う。4歳にして既に処世術を心得ており、UFOキャッチャー弱者の自分でも断れなかった。「3回までだよ」と、先んじて契約条件を付けた上で、ダメ元の気持ちでコインを投入する。

だが、予想に反して、アームはピカチュウの両脇と頭の3点を力強く掴んだ状態で、宙づりに上げた。娘は、きゃーと興奮の声を上げる。途中で引っかかって落ちたものの、そこには確かな手ごたえを感じた。

僕は更にコインを投入する。今度は反転状態で浮かび上がるピカチュウ、きゃーと拍手する娘、そしてあと一歩のところ、投入口の前でずり落ちる。僅かだが、確実に前進している。

そして、ピカチュウは投入口にもたれかかっているような状態である。反対側を少し持ち上げれば、穴に落ちることは確実であり、勝利は目前である。娘も歓喜のあまり、隣で謎のダンスを踊っている。

だがそこで事件は起こった。僕は小銭がないことに気づき、両替のため、持ち場を一瞬離れた。だが、その一瞬の隙を狙ったように、一人の人間らしきものが、さっと入りこんできた。よく見ると、おばさんだった。何日も洗っていないような、ぼろぼろの服を着て、この世のすべてを憎んでいるような鋭い目つきをしていた。その風貌は、どこかしら職人のオーラを放っていたため、僕は嫌な予感がした。

その予感は見事に的中した。世捨て人のおばちゃんは、慣れた手つきで、アームを操作し、僕が思い描いていたのと同じ方法で、ターゲットを難なく、陥落した。そして、密猟者のように無感情に、手際よくピカチュウを穴から取り出し、ぼろぼろの布カバンに放り込んだ。

それは一瞬の出来事であり、娘は状況を飲み込めず、きょとんとしていた。だが、数秒の時間差で事の重大さを理解したらしく、大声で泣き出した。無論、おばちゃんにも聞こえていた。だがおばちゃんは一切の動揺を見せず、その鋭い目つきで獲物を探すように、他の台を物色している。

さすがに娘がかわいそうだと僕も思い、一矢報いるつもりで、おばちゃんに聞こえるように「かわいそう」「大人げない」と遠回しな援護射撃をした。だがやはり手応え虚しく、僕の声は相手に届いてないようだ。きっと、自分に向けられる批判や悪口は一切心に響かないよう達観した境地にいるのだろう。村上春樹の小説で、何をされても平然としていることが、「ある意味、1番洗練された復讐である」という一説を思い出した。そうか、これは社会への復讐なのだと、勝手に理解した。

こうして、娘はまたひとつ大人に近づいた。本人の望まない形で。おばちゃんの去り際に、鞄から半分覗いているピカチュウが、心なしか寂しそうな目でこちらを見ている。そんな気がした。