よきにはからえ

おもしろきこともなき世をおもしろく、住みなすものは心なりけり

即席タイムスリップ

家→駅までの通勤路の道中、その時の気分で音楽を聴く。脳内でさっとスクリーニングをかけて、その時の気分にあった曲がぱっと選定される。

今日はミスチルの「跳べ」がヒットした。

歌詞は至ってシンプルだが、疾走感駆け抜ける、爽やかな曲だ。思わず、浮き足だって、旅行に出かけたくなる。

だが時は3連休明けの灰色の朝である。明らかなチョイスミスだ。脳内の検索エンジンの精度に疑いの眼差しを向ける。これならAmazonミュージックの方が、ましな選曲をするはずだ。人の感情がAIに抜かされる日も遠くないということを肌身で感じた。そんなことを思いながら、曲をかける。軽快なテンポでメロディが流れ出す。

そして、音楽というのは時折、タイムマシンの役割を果たすと思っている。イントロが流れると同時に、その曲を聞いてた当時の記憶が呼び起こされる。断片的なイメージと、その時の感情が曲に乗って脳内再生される。それは自分の意思とは無関係に想起させられるものだから、そんなこともあったなぁと感慨深く思う。

ミスチルの跳べによって回想された記憶は大学時代の時のものだった。僕は原チャリで四国の沿岸沿いの道を走っている。ミスチルの跳べを聴きながら。旅の趣旨は、金がなくて、時間が有り余ってる大学生によくある、自分探しを兼ねた貧乏旅行だ。

ドラクエ6をやり込んだ僕は、さすらいの旅に出ると、ひと回り大きくなって帰ってこれるという、漠然とした予感を持っていた。旅の困難=経験値という算式が現実世界でも当てはまると信じてた。それまでの人生経験がゲームしかない僕には、ゲームの主人公をロールモデルとすることしかできなかったのだ。

旅の道中は、孤独との戦いであった。原付での移動時間が大半を占めるし、行先での観光も基本はぼっちだ。各県のおいしいご飯を食べる時も、雄大な景色を目の当たりにした時も、感情を共有する相手がいない。湧き出る感情を処理できないのが、もどかしくて、そして、切なかった。せめて、その時の感情を少しでも冷凍保存しておこうと思い、写真だけをパシャパシャとってた。

旅の道中、色んな景色に出会った。どれも風光明媚な風景なのだが、中でも一番骨身に沁みたのは、室戸岬からの夕陽である。当時は街に全く人気がなくて、その空間だけ時が止まったような不思議な空間であった。そこから見える景色を、自然への畏敬、孤独感、晩飯どうしよう、将来どうしようとか、色々な感情が入り混じった状態で、その景色に見入ってた。

帰る頃の風貌はきっと、さすらいの旅人を見事に体現していただろう。日焼けし切った肌に、洗濯してないボロ雑巾のような服装、寂しさを超えて達観した顔つき。ドラクエで言えば、3レベくらいは上げてきただろう。現実という強大かつ体力無限のラスボスと戦うために。

気がつくと、駅に着いていた。ミスチルの跳べはとっくに終わっており、然るべき、現実に戻っていた。