よきにはからえ

おもしろきこともなき世をおもしろく、住みなすものは心なりけり

突然空から降ってきた有給休暇に戦慄する

4月から取引先に出向するのだが、残っていた仕事が昨日で全て終わってしまったため、本日明日で急遽、有給を取ることになった。

普通の人ならここは万歳三唱で喜ぶべきところだろう。だが僕には素直にそれができなかった。

なぜなら、一人休みの使い方を忘れてしまったからだ。子供が産まれると同時に、まる1日ひとりで自由に使える時間は、忽然と消えてしまった。当初は、失われた自由時間を泣き惜しんでいたが、人間の環境適応力とは恐ろしいもので、いつの間にか、その環境を自然な状態として、享受していたのだ。

そうして、自由の味わい方を忘れてしまった哀しき34歳は、なんの前触れもなく、突然押しつけられた有給休暇に、激しく動揺した。

それは、何十年も服役してた囚人が、いきなり出所させられて、なす術を持たない感覚に近いだろう。不朽の名作、ショーシャンクの空で、出所して自らの命を絶った鳥好きのおじいさんを思い出す。

一通り取り乱した後に、冷静に明日何しようかと考える。もうこの時点で日付は変わっていたので、厳密に言えば、7時間後の話だ。

せっかく、与えられたこの時間を有効に使いたい。そして有効という意味では、普段できないことをするのがベストだろう。つまり、子供がいたらできないことだ。この方向性で考えてみた。

熟考を重ねた結果、美術館が最適解だろうと結論に至った。壊れたスピーカーのようにうるさい子供たちを連れて美術館には入れない。それに、恥ずかしながら、この年になって、ちゃんと絵を見たことがないという負目もあった。ということで、今日は上野の国立美術館に行ってきた。

まず上野公園について驚いたのは、外国人の多さである。桜シーズンと緩やかな円安状態という環境要因もあってか、観光客で溢れかえっていた。中でも特徴的であったのは、人種の多様性である。当初は、日本に来る観光客は、爆買い目的の中国勢と、開国を求めてやってきた欧米勢が主流かと思ってた。だが実際の光景は仮説と違った。インド人もいれば、東南アジア系もいるし、中には、スペイン語を話す南米系の人達もいる。様々な言語が、桜並木の下をひゅんひゅんと飛び交っているのだ。まるで、上野公園が世界の中心に見えた。桜とパンダ以外のいない動物園のために、世界中から人が訪れていることを想起させた。

そして、いよいよ本題の美術館に入る。

美術館だけで、3,4種類の建物があるのだが、現代美術館と西洋美術館に入った。

現代美術館は、いくつか感覚的にいいなと思う絵があって、自分の好みの傾向みたいなものが、なんとなくわかったような気がした。

逆に西洋美術館は、歴史を感じるものの、絵自体の良さは、いまいちピンとこなかった。絵自体の価値というより、歴史的な価値で、名を馳せているように思えた。

脳の普段使っていない部分を使ったせいか、途中から、津波のような眠気に襲われて、帰りの電車は爆睡であった。

それでも、今日の有給休暇との闘いには、見事な勝利を収めたと胸を張って言えるだろう。まだ明日が残っているが、有意義な時間を過ごせるように、全力を尽くしたい。