よきにはからえ

おもしろきこともなき世をおもしろく、住みなすものは心なりけり

本屋という名のラビリンス

本屋に行くのは好きだが、無計画に行くと必ず迷子になる。迷子になるとは、物理的な意味ではない。何を買えばいいかわからなくなって、八方塞がりになった時のメンタルの話だ。

一方で、何も買わないのは、ただ時間を浪費しただけなので、手ぶらでは帰れない。涼しい顔してるが、精神的には背水の陣だと言っても過言ではない。

このような危機的な状況に陥るのは、欲しい本が見つからないからではなく、どの本もよく見えてしまうからである。選択肢が多すぎると、人間は思考停止に陥るらしい。これをジャムの法則という。

特に都内のでかい本屋は要注意だ。陳列の仕方やアピールの仕方がうまいので、どれもいい本に見えてしまう。

服とかゲームとかと違い、本の中身はブラックボックスだ。読んでみないと実態を掴めない。表紙の紹介文や立ち読みで僅かな情報を得られるが、本の質を予測するには圧倒的に情報不足だ。従って、結局、拠り所となるのは、己の勘になってしまう。

普通の人は、本一冊買うのに、なにをそんなに逡巡してるんだと思うかもしれない。

たしかに、そうだ。

本一冊の値段なんて、大したことない。だが、問題は時間だ。一冊読破するのに4,5時間かかることを考えると、それなりの時間を投資している。特に子育て環境下においては、仕事以外のプライベート時間から、さらに子育てに時間を奪われるので、自由時間は上澄程度しか残らない。砂漠の水と同じように、子育てサラリーマンにとっての自由時間は希少なものである。決して、ドブに捨てるような使い方はできない。

そしてもう一つ、本を買うことを躊躇してしまう理由は、意外にも、当たり外れが多いことだ。あくまで、感覚的な統計だが、投資した時間に見合う本に出会える確率は、せいぜい60%くらいだと推測する。

この確率を高いとみるか低いとみるかは意見が分かれるところであるが、5時間の時間価値が失われるリスクを考えると、些か勝率が低いように思える。

そして、これだけ本の選択をミスる原因として、本の宣伝文句の度が過ぎている点が挙げられる。例えば、自己啓発本であれば、"これさえ読めば〜できる"とか、小説であれば、"○○賞受賞"とか"衝撃のラスト"とか、そういう類のものだ。冷静に考えれば、何回も使いまわされてる安っぽいフレーズなのだが、不覚にも手を伸ばしてしまっているのが実態である。

というのも、先述の通り、本を選ぶ時は、情報不足に陥っているので、タイトルや宣伝文句から、想像を膨らませて、中身を予測するしかないのである。だから、表紙の一文や宣伝文句にいい感じのコメントが書かれていれば、ついつい、期待してしまう。

これは、ポルノ雑誌の袋とじの表紙だけで、購買意欲を刺激する構造と同じで、不確実なものに、期待を膨らませ、夢を抱いてしまう人間の習性を逆手に取った、本屋の巧妙な仕掛けである。

そんなわけで、僕にとって本屋は、可能性を広げる場所であると同時に、出口の見えない迷路でもある。

本来、その当たり外れも含めて楽しむのが、本選びの醍醐味であるのだろうが、まだその悟りの境地には達していない。