よきにはからえ

おもしろきこともなき世をおもしろく、住みなすものは心なりけり

もう少し早く君に出会っていれば

ブログを初めてまだ間もないが、もう少し早く始めてればよかったと、つくづく思う。できれば5年くらい前から。

ブログとは外向的人間、いわゆる陽キャが支配するこの世の中において、内向的人間が闘える数少ない土俵のひとつと言えるであろう。

この資本主義社会において、表現力は決定的なキードライバーだ。言葉を意のままに操れる人が、仕事でも人間関係でも大概うまくいく。

そして、日常生活で表現力が発揮させる場面は会話である。陽キャと会話は相性がいい。彼らには会話への柔軟な対応力と、細かいことを気にしないメンタリティが備わっている。だから、自然に会話の空気感に自分を合わせることができる。そして、物怖じすることなく、自分の世界を拡げられる。そうやって、経験値を蓄積させて、レベルアップしていくのだ。

だが、内向的人間には、その柔軟性と鋼のメンタリティは備わっていない。

だから、彼らのテンポについていけず、表現する機会を失ってしまう。話さないから、経験値も貯まらない。そんな訳で、表現力の差はどんどんと拡がり、格差社会ができあがる。

この受け入れ難い現実に、内向的な自分は屈するしかないと思ってた。分相応にひっそりと、ささやかな暮らしを送るしかないと思ってた。

だがブログに出会って、考え方が少し変わってきた。なぜなら、内向的な自分でも、表現力を磨けることを知ったからだ。

ブログでは、自分のペースで、自身を表現できる。しかも、読み手が存在することを前提で書くため、読みやすさや表現力を工夫しようと試行錯誤する。日記とは似て非なるものだ。

この言語化のプロセスを繰り返すことで、表現力が日々洗練されていくことは言うまでもない。

勝手な想像だが、内向的な人間は自分のペースで物事を進める継続力に秀でていると推察する。

この継続力は立派な能力であるが、会話ではあまり役に立たない。なぜなら、会話では瞬発的に相手に合わせる能力が必要とされる。マイペースがベースの継続力とは相性が悪い。歯車が噛み合わないまま、エンジンが勢いよく回ってる感じだ。

だから、会話では内向的な人間は良質なパフォーマンスを出せない。うまく言葉を紡ぐことができず、不完全燃焼感だけが募ってく。

だが、ブログは違う。自分のペースで描ける。コツコツと地道に経験を積み重ねることで、表現力が養われてく。まさに継続力がエンジンとして機能するのだ。これこそ、内向的人間の強みを発揮できるフィールドであると言えよう。

現に、ブログを初めてから、心なしか、頭の中がクリアになった気がする。それまでは、頭の中は、とっ散らかった部屋のようだった。欲しい言葉がその場で見つからなかった。でも今は違う。脳内が整理整頓されて、スムーズに引き出しから適切な言葉を選べるようになった。

これまでは、コミュニケーション=会話という一本道しか見えてなかったが、実はブログという手段で文章として伝える裏道があることに気づいた。あまり巷では知られていないが、しっかりと目的地まで続いている道である。

この道を、継続力という名の、サステナブルなエンジンを積んだ車で走り続ければよい。

 

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