他者と比較して、勝手に落ち込むということが定期的にある。
比較対象は、その時の気分によって決まり、同年代の有名人の場合もあれば、身近にいる友人である場合もある。共通して言えるのは、躍動感が感じられる人生を送っている人が、ターゲットとなりやすい。
年を取るに連れて頻度は減ってきたが、あの重たくてどろっとした粘性液体のような感情に10代から悩まされてきた。
そして、自分のことを客観的に見れるようになってから気づいてきたのだが、どうやら、この感情は、自己肯定感が下がってる時に、湧き出てくるらしい。
人生には波があり、時にはなにをやってもうまく嵌まらなくて、やるせない停滞感を感じる時がある。
そんな時、脳内の奥深くにある感情スイッチが静かに押される。すると、自分の記憶にいる勝ち組認定を受けた人達の虚像が、脳内にじわじわと染み込んでくる。
みんな失敗と成功を重ねながらも、いい顔して一歩ずつ前に進んでいる。そして、自分は一向に前に進んでおらず、うだつのあがらない人生を送っている。そういうイメージが脳内に溢れれてくる。
10代の時は、この感情を止める方法がなくて、まるでダムの放水状態であった。自己嫌悪感が頭の中で勢いよく渦巻いており、それはもうひどい状態であった。
そして20代以降は、自分の中の確固たる芯みたいなものを見つけてから、症状は少しマシになった。だが、その芯が挫けそうな時は、やつが顔を出す。姿見は自分と同じで、歪な感情を司る担当だ。
そして、何を隠そう、ブログを始めたのも、このモンスターに打ち勝つためだ。
最近は仕事が行き詰まってて、しかもずっとリモートで人と会話できる機会も少なかったので、最近はじわりじわりと症状が出てた。
自分だけ時の流れに取り残されているようで、焦燥感が募るばかりであった。
そんな時に、ブログと出会った。ブログで自分を表現することで、社会との繋がりを感じられるのではないか。そうすれば、このまとわりついてる暗い感情を払拭できるのではないかと仮説を立てた。今のところ、これが自分に取れる最良の手段だ。
今は少しやってみて、僅かながら手応えを感じている。が、油断できない。これじゃなかったと思う日が来るかもしれない。
そうなってしまったら、また闇堕ちしてしまうことは間違いない。首の皮一枚だ。
だから、時々アイデアが浮かばずモチベが下がる時がある。だが、それでもやめられない。
そして、まさに今この瞬間も、今日も記事を書き切ったと、安堵してる自分がいる。