よきにはからえ

おもしろきこともなき世をおもしろく、住みなすものは心なりけり

所詮、この世はないものねだり

人の欲望というのは、オセロみたいなものだ。一度、黒になると、今度は白になる可能性を秘めている。少しの刺激で、簡単に180度ひっくり返る。なんとも、儚いものだ。

そして、自分も今その境地に立っている。

4月から客先に出向となり、職場が変わった。客先に出向というのは、珍しいケースかもしれないが、人材交流を活性化して、安定的に仕事を取ろうとする会社の戦略だ。その趣旨に異論はないのだが、行かされる人間は、完全に人柱だろう。常に客先から見られているという緊張感の中、1日を過ごさないといけない。政略結婚の道具にされた、昔の姫君達の気持ちが痛いほどわかる。

話は逸れたが、職場が変わったことによって、働き方も大きく変わった。一番の変化はリモートワークから、週4出社に変わったことだ。

当時、家族以外との会話がなく、黙々とパソコンをタイプする日々が1年以上続いていたので、出社できる環境に、強い憧れを抱いていた。従って、今回の出向は、客先に行くとは言え、外に出て人と話せるルーティンに戻れる意味で、非常にありがたい話であった。

そして、4月から出社する日々が始まった。毎日、スーツをパリッと着こなし、人当たりの良い自分をさらっと演出する。息子の小学校入学の時期も重なったこともあり、この3週間は一瞬で過ぎ去った。そして、今日は久々のリモートワークだ。すると、どうだろう。

それはもう快適な一日であった。

通勤がないから朝のドタバタはない。眠い時は昼寝できる。集中力が落ちた時は、ネットサーフィンできる。食後の散歩もできる。家の中で、まったり、ゆったりと仕事できるのが、こんなにも素晴らしいとは思わなかった。

1ヶ月前まではリモートワークにずっと不満を感じていたのだが、今は180度、見方が変わっている。一度、白になったコマがまた黒にひっくり返ったのだ。

だが、こんな感情の機微は、人生において、往々にして起こりうるものだ。

最たる例えは、恋愛だろう。ずっと好きだった憧れのあの子と付き合うことができたとしよう。最初はこの世の全てを手に入れたような全能感に近い感情を抱くかもしれない。だが、それも束の間で、数ヶ月には必ず倦怠期が訪れる。その時には、当時の情熱的な気持ちは、完全に色褪せてしまっている。オセロ的に言えば、裏返ってしまっている。

つまり、一度、欲しいものを手に入れてしまうと、今度はそれを手放す逆向きの力が働くようになっているのだ。

それはなぜか。恐らく、認知バイアスの仕業だ。人は自分が見たいものしか、視界に入らないという行動経済学の考え方だ。

だから、何事においても、表層的には良い部分しか見えない。悪いところは、深層的な部分に隠れている。それは、実際にやってみて初めてその存在に気づく。結婚なんて、まさにその代名詞だろう。蜜月期間が終わったあとは、価値観の押し付け合い、ルール無しの陣取り合戦だ。

話を戻すと、人の欲望とは所詮そんなものだ。手に入れるまでは、それが俺の人生の全てだという情熱と気概を持っていられるが、手に入れた途端に、呆気なく、熱が冷めてしまう。

祇園精舎の鐘の音の、諸行無常の響きとはこのことを言ってるんじゃないかと、ふと思った次第だ。