よきにはからえ

おもしろきこともなき世をおもしろく、住みなすものは心なりけり

定時上がりの散歩

昨日いつもより1時間ほど早く仕事が終わった。オフィスを出ると、とりとめもなく、家に帰りたくない気持ちに駆られ、大手町周辺をぶらりと散歩することにした。

ふと家のことが頭によぎった。嫁は今頃、子供たちのご飯の準備をしてる。その後も風呂→宿題レビュー→就寝と怒涛のスケジュールだ。この状況下において、当てもない放浪行為に走るのは、明らかな背信行為である。背徳感がチクリと背中を刺してくる。だが僕は、意を決して皇居の方に歩き出した。

梅雨の合間に垣間見れた夕焼けはとても美しかった。ひんやりとした冷気が肌を包み込む感じが心地よかった。道行く人も、心なしか爽やかな顔付きをしていた。月曜を乗り切った達成感と初夏の瑞々しさに酔いしれているように見えた。

歩く人がみな幸せそうに見えるのは、僕が現実に疲れているからだろう。家庭のこと、仕事のこと、自分自身の性格のこと。細かいことを挙げ出すと枚挙にいとまがない。そして、その弱さを吐き出す場所もない。

強いて、散歩の目的を挙げるならば、心の状況を整理するためであった。日常のサイクルから外れて、その外側から物事を俯瞰してみることで、解決の糸口が見つかるかもしれないと思ったのだ。

行くあてもなく、皇居を彷徨っていると、楠木正成像にたどり着いた。それは、勇ましい姿で、虚空に剣をかざしていた。銅像ではあるものの、その目には、一寸の陰りも見当たらない。いっそのことその剣で、自分を一思いに突き刺してくれないかと一瞬思った。

そのまま、東京駅前まで戻ると、駅前の広場には、多くの人が初夏の夕暮れを満喫していた。ドレス姿で結婚式の写真を撮るカップルもいれば、東京駅をバックに写真を撮る外国人もいた。ベンチで友達とくっちゃべってる若者もいた。みんな黄金色の日溜まりに包まれていた。それは、幸せという概念を体現したような空間だと思った。そして、そこに沈痛な面持ちで入り込んできた自分は、その空間に風穴を空けたのだろうと、自嘲的な気持ちになった。

そのまま、東京駅の建物前までたどり着いた。それは現実への入り口である。レンガ造の建物が醸し出す雰囲気は、現実の重々しさを見事に体現していた。建物内に人が無尽蔵に吸い込まれる様子を見て、軽い恐怖を覚えた。

だが、その意思に反して、僕の足は留まることなく、中へと着実に一歩を踏み出してゆく。電車に乗った時、僕の中で歯車がカチリと嵌まる音がした。そこで、現実に戻った気がした。

背徳感を背負ってまで、散歩をしたが、残念ながら、悩みの糸口は、何ひとつ見つからなかった。