よきにはからえ

おもしろきこともなき世をおもしろく、住みなすものは心なりけり

おとんと鰻

最近、よく鰻の広告を見かける。

どのコンビニでも店前に、ポップでニョロっとした鰻が描かれた旗を掲げている。

それは夏風に煽られて、まるで、水の中で泳いでるように、ゆらゆらと揺れている。

そういえば久しく鰻を食べていない。かれこれ5年くらいは。「子供ができて、食べなくなったご飯」ランキングの上位には入るだろう。不動の1位に君臨する焼肉食べ放題と、よい勝負が期待できるかもしれない。

そして、鰻のことを考えると、おとんの「鰻丼事件」を思い出す。

うちのおとんは、怒りに翻弄されるタイプの人間であった。普段は温厚なのだが、人知れず怒りエネルギーを内に溜め込んでいて、不定期で唐突にそれを爆発させる。怒りの矛先は大概は人ではなく、モノに向かう。その被害たるや、数えると枚挙にいとまがない。一例を挙げると、真っ二つに折られた(僕の)縦笛、逆パキされたガラケー、粉砕されたテニスラケットetc..

なおテレビのリモコンは最低5回は生まれ変わっている。

僕は物心ついた時から、父親のそういうところが嫌いであった。いい年こいて、感情を制御できず、母親や周りの人に不快感を与えるなんて恥ずかしいと子供ながら思った。

そして、「鰻丼事件」も父の膨張した怒りエネルギーが、その場にあった鰻丼によって具現化された出来事である。

遡ること15年くらい前、今日のように蒸し暑い日曜の夜、家族団欒で鰻丼を食べていた時のことだ。

弟(小学校低学年)が食べてる最中に、見たいテレビ番組が始まった。弟は「あとで食べるから」とぶっきらぼうに言い放ち、ぱっと食卓を離れた。

30分くらい経過した後、弟分以外の洗い物を終えた父親が「そろそろ、鰻丼食べたら?」と促す。すると、弟はテレビから目を離さないまま「やっぱ、いらない」とだけ、やはりぶっきらぼうな口調で返した。

それを聞いた父親は、黙って、残った鰻丼をすっと持ち上げた。シンクに持って行くのかと思いきや、そのまま弟に近づいていき...

弟の頭から鰻丼をぶっかけた。

それは一瞬の出来事であった。僕も母親も、最初、何が起きたかわからず、フリーズした。弟も、鰻とご飯を頭に乗っけたまま、固まった。薄茶色の汁が弟の頬を伝って滴り落ちた。

刹那の沈黙を経て、てんやわんやの茶番劇が始まった。状況が飲み込めず泣き出す弟、慌てて雑巾を取りに行く母親、そして、無言で自室に去って行く父親。そして、僕はというと、彼の奇行にただ呆れ果てていた。なぜそのような結末になるのか、理解不能だったし、する気もなかった。

その後も、父親の禁断症状は治まることなく、僕が家を離れるまで、何回か火山爆発のような事変が勃発した。僕の嫌悪感も高校生くらいにはピークに達しており、反面教師としてしか見えないようになってた。

父親を受け入れるようになったのは、実家を離れ一人暮らしが始まってからである。精神的に成熟したのと、単純に嫌な部分を見る機会が減ったからであろう。徐々に普通に話せるようになっていった。

そんな父も寄る年波には勝てず、だいぶ穏やかになった。恐らくそれは、(同居する母親にとって)好ましいことではあるのだが、父親を構成する一部が失われたような気がして、今となっては、寂しくも思う。

そんなわけで、鰻丼の写真を見ると、当時の事件の記憶がふっと蘇る。当時は嫌な出来事としてタグ付けされていたが、時の経過を経て、しみじみとした味を出すようになっていた。それは、何十年も熟成された鰻のタレと同じだと思った。