よきにはからえ

おもしろきこともなき世をおもしろく、住みなすものは心なりけり

良い記事を書くために

ブログでクオリティの高い記事を書きたい。その定義は人それぞれかと思うが、僕の中では、個性が出てて、かつそこに深い人生訓が感じられるものである。具体的なイメージは村上春樹なのだが、彼のように示唆が滲み出る文章をスラスラと書けるようになるためには、どういう視座から世界を捉えたらよいのか、思案を巡らせる毎日だ。そして、熟考の末に辿り着いた仮説が2つある。

一つ目は個性について。個性は、過去の経験の蓄積によって形成されているということだ。

人は経験を通じて学ぶ。学んだ結果が、自分の思考回路や性格に反映される。それは、勉強で得られるような表層的な知識ではない。もっと根本的な部分に働きかけている。

だが経験が個性を作るだけではないとも思う。逆もまた然りで、個性が経験を選ぶのも、また事実である。リスク選好型の人は、刺激的で未知なる体験に惹かれるし、リスク回避型の人は、安心安全で堅実な経験を好む。そういう意味では、性格と経験は相互補完的だ。鶏と卵である。

いずれにせよ、自分の個性はなんだろうと疑問に思った時は、過去を振り返ってみるといいと思う。FF7クラウドのように、過去の記憶を辿ることで、本当の自分を見つけられるかもしれない。

もうひとつの仮説は、深さについて。人生に深みを出すために必要なのは、ネガティブな経験であると思う。つまり挫折、失敗、裏切りといった精神的ダメージを伴うものである。

世に溢れてる小説や自伝などのストーリーものでは、必ずといっていいほど、苦労や挫折が織り込まれている。ある目的に向かっている道中で、大きな壁にぶつかったり、仲間や恋人から卑劣な裏切りを受けたり、大災害に見舞われたりといった、絶望的な展開を挟むことで、物語は物語として成立する。

例えば、ドラクエシリーズで5が最も人気があるのも、主人公が幼少期に父親を目の前で殺されてしまうという悲劇的な展開のおかげだろう。人は喜びや楽しみよりも怒りや悲しみといっ負の感情の方が感情移入しやすい。ドラクエ5の波瀾万丈のストーリーは自然とプレイヤーの共感を喚起し、さも自分が主人公になったような錯覚を引き起こす。

そういう意味では、人生において、厄災のように降り掛かってくる挫折や絶望というのは、ある意味、貴重な経験なのである。その時は、そんなポジティブな感情処理はできないだろう。だが、その時受けた心の傷は、ワインのように何十年もかけて熟成されて、やがて味わい深いテイストになるかもしれない。

僕は自分が傷つくのも傷つけるのも嫌だったので、ずっと対人リスクを回避しながら生きてきた。学生時代に好きな子に告白できなかったし、常に周りの人から嫌われないように自分を抑えていた。その時は、処世術のひとつとして正当化していた節もあるが、今考えてみると、逃げてただけだろう。そのツケとして、告白でできなかった経験は、今でも負の財産として心に刻まれ続けている。

ドラクエでもFFでも逃げる選択肢は大事である。生き残るために。一方で、逃げることで、本来得られるはずの経験値が失われるという機会損失が発生することは、肝に銘じないといけない。そう思った次第だ。